ラップ名曲(歴代)

ローリング・ストーン誌が選ぶ「史上最も偉大なヒップホップ50曲」

音楽雑誌「ローリングストーン誌」(RS誌)が選んだ「歴史上最も偉大なヒップホップ50曲」です。 ラップの名曲の歴代(オールタイム)ランキングになります。 2012年に選出・発表されました。 原題は「The 50 Greatest Hip-Hop Songs of All Time」。 ヒップホップの初期の1970年代末から1980年代の曲が多く選ばれています。 歴史的な価値が重視されており、ヒップホップの誕生と発展に貢献したラッパーやDJ、MCたちに対する敬意(リスペクト)が感じられるランキングです。 1位はグランドマスター・フラッシュ・アンド・ザ・フューリアス・ファイヴの「ザ・メッセージ」。 有名なオールド・スクールの曲もランクインしています。 Youtube動画付きで一覧(リスト)にまとめました。(MOVE 國岡徹)

(※ローリングストーン誌が選ぶ「グレイテスト」シリーズ: アーティスト→曲→アルバム→シンガー→ギタリスト→過小評価ギタリスト→ | ヒップホップの曲↓)

順位 曲名、アーティスト、発売年、動画 解説
「ザ・メッセージ」
(The Message)

グランドマスター・フラッシュ&ザ・フューリアス・ファイヴ
(Grandmaster Flash And The Furious Five)

1982年 ザ・メッセージ グランドマスター・フラッシュ&ザ・フューリアス・ファイヴ

【動画】
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音のみ→

貧困街(ゲットー)の苦境を訴える歌。 「Rats in the front room, roaches in the back(表の部屋にはネズミ、裏にはゴキブリ)」などのリリックが連発される。 社会性のあるシリアスなテーマを訴えた初めてのヒップホップ曲とされる。 それまでのラップソングの大半は、自分の自慢話やノー天気なパーティー話に終始していたが、 この曲は黒人社会を取り巻く厳しい現実にスポットをあてた。 曲名の通り「メッセージ(主張)」を含んだ曲であり、 いわゆる「物語性のあるライム」が衝撃を与えた。 それまでラップを軽視していた音楽評論家からも称賛された。

「バックスピン」「パンチ・フレイジング」など、 ヒップホップのDJの基礎となる技術を生み出したことで知られる米国人グランドマスター・フラッシュ。 フラッシュが、地元ニューヨーク・ブロンクスのラッパー4人を迎えて結成したのが、グランドマスター・フラッシュ&ザ・フューリアス・ファイヴ。 この曲は彼らの最初のヒット曲であり、代表曲。
この曲によって、社会への疑問や矛盾を提起するというヒップホップの役割に注目が集まるようになる。 後のヒップホップアーティストたちに大きな影響を与えた。

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「ラッパーズ・ディライト」
(Rapper's Delight)

シュガーヒル・ギャング
(Sugar Hill Gang)

1979年 ラッパーズ・ディライト シュガーヒル・ギャング

【動画】
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ラップの曲として初めて大ヒットした曲。 大半の人がラップを聞いたことがなかった1979年に発売された。 アメリカだけで200万枚販売。 海外でもヒットし、 カナダ、オランダでチャート1位。 フランスやベルギーなどで2位。 イギリスで3位に輝いた。 世界にラップの存在を知らしめた。

この曲が出るまで、ニューヨークの黒人の中だけの文化(アンダーグラウンド・カルチャー)だった。 そのニューヨークでも、ラップ音楽はクラブなどでのパーティーのときに演奏するものであり、 レコードとして販売するという発想がなかった。 しかし、クラブシーンでのラップのパワーに感嘆し、 「レコードにすれば売れる」と考えた女性歌手で事業家のシルビア・ロビンソンが、 夫と経営するレコード会社での商品化を決意。 ニューヨークの著名ラッパーや人気のあるDJたちにレコード化を持ちかける。 しかし、彼らは興味を示さなかったため、 しかたなく隣のニュージャージーでラッパーを3人探しあて、 即席でグループを結成した。 そして、すぐに著名ソウルグループ、シックのヒット曲「グッド・タイムズ」などをサンプリングしたこの曲でデビューさせた。

曲には、それまでのヒップホップ文化の中で培われた基本テクニックが凝縮されており、 だれでも口ずさみ、楽しめるようにアレンジされていた。 その一方で、ライムは当時トップDJだったグランドマスター・カズのものを転用したものであり、 専門的な見地からはクオリティの高いものでないとして、 ヒップホップの先駆者たちから批判された。 とはいえ、ヒップホップを世間に普及させるきっかけをつくったという点において、歴史的な評価を得ている。

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「プラネット・ロック」
(Planet Rock)

アフリカ・バンバータ&ソウル・ソニック・フォース
(Afrika Bambaataa & The Soul Sonic Force )

1982年

【動画】
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クール・ハーク、グランドマスター・フラッシュとともに、 ヒップホップの生みの親として敬愛されているDJアフリカ・バンバータの代表作。
ラップにテクノ(電子的な音)の要素をふんだんに取り入れた斬新で画期的な曲として評価されている。 黒人のファンクの伝統に、 電子音楽を組み合わせ、 新しい形のヒップホップを生み出した。 ヒップホップに「エレクトロファンク」というサブジャンルが作られるきっかけとなった。

バンバータは、日本のYMO(イエロー・マジック・オーケストラ)のファンであり、 この曲を作るうえで影響を受けたアーティスととして、 ドイツのクラフトワークなどとともに、YMOの名をあげている。

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「サッカーM.C.'s」
(Sucker M.C.'s)

ラン・ディーエムシー
(Run-DMC)

1983年

【動画】
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Run-DMCのデビュー曲(最初に発売されたカセットテープのB面として収録された)。 それまでのラップのようにメロディのある楽器やシンセサイザーの音を加えず、 ドラムマシーンによるビートだけで曲が作られた。 これは、ニューヨークの路上や公園で実際に披露され、楽しまれているラップをそのままレコード化したものであり、 画期的な試みだった。 その荒削りでシンプルなサウンドが当時の若者たちにバカ受け。 アディダスのスニーカーとジャージ、カンゴールの帽子というカジュアルなファッションもあいまって、 大きなインパクトを与えた。 この曲をきっかけに、最小限の音だけでラップの曲をつくる「ニュースクール」という一派が台頭し、 Run-DMCやLLクールJなどを筆頭に大きなうねりを作った。

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「マインド・プレイング・トリックス・オン・ミー」
(Mind Playing Tricks On Me)

ゲトー・ボーイズ
(Geto Boys)

1991年

【動画】
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歌詞付き→

PTSDなどのメンタル面の病気を描写する歌詞になっている。 ヒップホップの中でも「ハードコア」や、恐怖心に訴える「ホラー・コア」というサブジャンルに位置づけられている。 俳優で音楽家のアイザック・ヘイズの「Hung Up On My Baby」をサンプリングしている。 1990年代で最も優れたラップ曲の一つとされており、後に多くの曲の元ネタやインスピレーションになった。 2009年のキッド・カディの大ヒット曲「Day 'N' Nite」もこの曲にインスパイアされたという。

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「ナッシング・バット・ア・“G”・サング」
(Nuthin' But A‘G’Thang)

ドクター・ドレー ft スヌープ・ドッグ
(Dr. Dre ft. Snoop Doggy Dogg

1992年

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N.W.Aを脱退したドクター・ドレーのソロとしての最初のアルバム「The Chronic」から出たファーストシングル。 デビュー前でまだ無名だったスヌープ・ドッグを街で見つけたドレーは、そのラップの才能に驚き、早速この曲でコラボした。 ラップとR&Bが融合し、メロディのあるグルーヴ満載の曲。 フロウが冴えわたるポップな傑作として評価されている。 シンセサイザーや生楽器を使ってファンキー感を出す「Gファンク」の代表的な歌でもある。 Drドレーは、この曲をはじめとする「The Chronic」収録曲によって、Gファンクの父親のような位置づけになった。(「G」はギャングの略)

2人の若きギャングスタ(チンピラ)ラッパーが、軽快にほえる歌詞。 ドレーの出身地のコンプトンと、スヌープの出身地のロングビーチが登場する。 ロス暴動後の重い雰囲気が起こるなかで、 「何があっても楽しくやろうぜ!」というポジティブな空気を醸し出している点も支持された。 米西海岸のLA(ロサンゼルス)サウンドの代表作でもある。 全米ビルボード2位のヒットとなり、 年間チャートでも11位に入った。 ヒップホップをメインストリームへと導いた曲の一つとされる。 元ネタ(サンプリング曲)は、ファンク歌手レオン・ヘイウッドによる1975年のヒット曲 「I Want a Do Something Freaky To You」など。

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「ファイト・ザ・パワー」
(Fight The Power)

パブリック・エナミー
(Public Enemy)

1990年

【動画】
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タイトルの意味は「権力と闘え!」。 真の平等と自由を勝ち取るために、 黒人一人一人が意識を高め、 立ち上がることを呼びかけている曲と受け止められている。 アフリカ系アメリカの文化に根差した音源をサンプルとして多く使っている。 レーガン政権、ブッシュ政権という保守的な共和党政権が続き、 リベラル派に閉塞感が出るなかで、 ヒップホップの意義を広げる社会運動的な歌としても称賛された。

黒人映画監督のスパイク・リーが差別をテーマにした映画「ドゥ・ザ・ライト・シング 」を製作するにあたり、 テーマ曲として依頼。映画とともにヒットした。 黒人文化のヒーロー的な存在として人気を集めたパブリック・エナミーの代表曲となっている。

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「ジューシー」
(Juicy)

ノトーリアスB.I.G.
(Notorious B.I.G.)

1994年

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ノトーリアスB.I.G.(愛称ビギー)のソロアーティストとしてのデビュー曲。 ヒップホップがロックを超える存在感を持つようになり、全盛期に突入した1990年代において最高のラップ曲とも言われる。 貧乏だった子供時代から、麻薬取引などの犯罪に手を染めた時代を経て、音楽ビジネスでの成功までを綴ったビギーの自叙伝的な歌詞。 世界のラッパーやファンに夢を与えた。 ファンクバンド「エムトゥーメイ」の曲「Juicy Fruit」を元ネタとしてサンプリングした。 パフ・ダディらがプロデュースした。

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「ストレイト・アウタ・コンプトン」
(Straight Outta Compton)

エヌ・ダブリュー・エイ
(N.W.A)

1988年

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1980年代後半に誕生し、西海岸を代表するヒップホップグループになったN.W.Aのデビュー曲。 曲名の意味は「モロにコンプトン出身」。 コンプトンはロスアンゼルスの南に位置し、当時アメリカで最も治安が悪い都市の一つとされた。 いわゆるギャング系ラップの先駆け的な曲であり、アイス・キューブやイージーEらメンバーが「俺たちヤバイ奴らだよ」と吠えまくっている。 ストリート文化のゾクゾク感や緊迫感を体現した名曲である。 発売当時はラジオで放送禁止となったため、ヒット曲にはならなかったが、この曲を含む同名のデビューアルバムは当時の若者に絶大な支持を受けた。 2015年にN.W.Aのストーリーが映画化された際に、映画の題名にもなった。 映画は大ヒットし、この曲も再び脚光を浴びた。

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10 「ペイド・イン・フル」
(Paid In Full)

エリック・B&ラキム
(Eric B. & Rakim)

1987年

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ラキムといえば、道徳性のある歌詞で、聴く側の若者らを啓発するスタイルで知られている。 また、作曲家としては魅力的なフロウをつくり、単調でなく、サックスのような楽器を聞いている感覚で楽しめるラップソングをつくることができると評価されている。 この曲は、そんなラキムのデュオ「エリック・B&ラキム」の代表作である。 ファンク曲「Ashley's Roachclip」やR&B曲「Don't Look Any Further」などからサンプリングしている。 エリック・Bのターンテーブルの技術も光る。 イギリスのダンス音楽の著名デュオ「コールドカット」がリミックスしたバージョンが好評を博し、 ヨーロッパでもヒットした。

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11 「クリーム」
(C.R.E.A.M.)

ウータン・クラン
(Wu-Tang Clan)

1993年

【動画】
動画→

ニューヨーク市のスタテン島の出身のラップグループ。 1992年に、総勢9人程度で結成された。

1993年にデビュー・アルバム「燃えよウータン」を発表した。 原題は「Enter the Wu-Tang (36 Chambers)」。 このアルバムが高い評価を得た。 本曲「クリーム」も、このアルバムに収録されている。 曲名のC.R.E.A.M.とは、Cash Rules Everything Around Meの略である。「オレのまわりの全ては金に支配されている」という意味。

米西海岸のヒップホップが勢いづいていた時代にあって、 東海岸側からも新たな流れを生み出す起点となった。 また、1980年代から伝わるハードコアヒップホップを再興させ、さらに発展させる立役者ともなった。

ウータンとは、中国の伝統的な格闘技「武當拳」である。 RZA(リッザ)が事実上のリーダーとして、グループを率いた。 メンバーには、高い技術を持った若きヒップホッパーがそろったタレント集団でもあった。 グループの成功を受けて、各メンバーがソロでも活躍した。 GZA(ジザ)、メソッド・マン、レイクウォン、メソッド・マンら、日本のファンにも深く尊敬されている人物も多い。

参照:RS誌のサイト(英語)→